MEMORYS 2004年11月/12月


12月31日(金) きのうはめずらしく熱が出て、まる1日寝てました。
          朝起きて、なんだかへん。二日酔い?
          前夜、午前2時まで琴似でのんだけど
          7時間あまり話したことの8〜9割、友人の職場と仕事の悩みの聞き役。
          (やはり、組織で働くのは大変だなあ)          
          それほど飲んでいないはずなのに、なんだろう、おかしいな、
          と思ったら、発熱だった。ひたすら眠った。
                         三角山放送局の忘年会をキャンセル。          
          今朝は36度台にさがったので、さあ、これから、年越しの買物へ。
          
          陽射しの明るい大晦日。
          やり残したこと多数、年明けの予定山積み。
          でもまあ、いいでしょう。思い煩うのは止めよう。
          まずは気持ちよく新年を迎える準備にとりかかります。
          思い返せば色々あった、2004年、ありがとうございました。


12月29日(水) 27日 支払いあれこれ。買物あれこれ。
          このところ、冬休みに入った娘がばりばり本を読んでいる。
          けっこうな厚さの単行本を5時間ほどで読破するのをみて、私も、
          と、気になるあれこれ放り出して、しばし読書。              
          
          28日 「八軒物語2004」の今年最終ミーティング&忘年会。
          稽古の日程、スタッフのめど、17年度に予定される複数の再演計画など検討。
          う〜ん、来年は忙しくなりそう。
           
          29日 昨夜のミーティングにそって、各種連絡、段取り、ホームページ更新、等々。
          年賀状出さなくちゃ、仕事場の片付け、スケジュール調整、あれもこれも。
          と言いつつ、めずらしいひとから「久しぶりに今夜、のみませんか」のメールには
          やはり、でかけねばなりますまい。


12月26日(日) 日記が長いときは、タイトルつけなくちゃ。
          きょうのタイトルは、「忠海メモリアル・アイリッシュスープだよ」。

                        24日 年明け2〜3月に開催する表現ワークショップの概要を固め、早急に参加者募集を開始
          する必要がある。年末の新聞に折り込むためのチラシ原稿を作成。八軒連絡所(もとい、今は
          「まちづくりセンター」というのですね)の印刷機を利用させていただいて、4,500枚裏表を印刷。
          紙そろえなどで、ずっと手を動かして丸々2時間かかった。雪の中、まことに重い紙をソリに積んで、
          エンヤコラ、道新販売店に搬入を果たした時には18:00を過ぎていた。
          それからイブの買物に出かけたが、チキン屋さんも、ケーキ屋さんも、行列が出来ていて、
          特の「きのとや」さんの行列はすごかった。予約のケーキを受け取りにきた人の列50人以上、いや
          100人近く居ましたか。これはどう考えても無理。デコレーションケーキをあきらめて、一般ケーキに
          クリスマスの飾りをつけたものを購入。これもけっこう可愛くていいじゃありませんか。
          今年はツリーも、リースも、プレゼントも、何ひとつできなかったクリスマス。唯一、ケーキだけ。
          
          25日 午前中、三角山放送局で「かりんずタイム」生放送。
          午後3時からスタジオで、生きがい探偵団主催、恒例大ポットラック望年会、開催。
          例年、サロマ(芭露)から殻つき牡蠣を20〜30キロ取り寄せて、なま、酒蒸し、炭火焼で
          食べ放題を行うのだが、なんと今年は厚岸の殴り込みを受けて、サロマ VS 厚岸の対決。
          いや、すごかったです。美味しかったです。それに良い日本酒、ワイン、焼酎など山積み。
          一品持ち寄り料理も盛りだくさん。ちなみに私は、ラム肉のスープを寸胴いっぱいつくりました。
          仔羊亭:忠海さんが、去年の夏、庭でつくってくれたスープの記憶をたどりながら。
          参加者総勢40名を超える大宴会は23:30、明るい月の下、滞りなく終了。 

          26日 午前中いっぱい、スタジオのかたずけ。ゴミ袋をひとつ、ひとつ開けて分別チェック。
          アルミ缶をひとつひとつすすいで、プルタブをとり、子ども会の廃品回収用にまとめる。
          酒瓶、ペットボトルもすすいでひと袋にまとめる。あとは燃やせるものと、プラスチック再生品に
          分けて、と。コラコラ、どうしてプラスチックの中に紙皿を入れるのよ。吸殻混入が一本もないのは
          立派だね。春のように明るい、晴れた冬の日の、ゴミあそび。
          
          今年、私に起きた大きな変化(小さいかな?)は、掃除が楽しくなったこと、だ。
          掃除って、いくらやっても、たいしてきれいにならない、と思っていた。
          ところが、ある洗剤に出会って「きれいになる。きもちよくなる。」ということを知ってしまった。
          毎日使うグラスなんて、もう、ピッカピカなのサ。
          それ以来、チョコチョコ、チョコチョコ、あっちこっち、掃除して悦にいっている。
          来年は、もっと大々的に掃除魔になるかもしれない。


12月23日(木) 21日 冬至。ゆず湯の至福。母の冬至かぼちゃ。
          10数年ぶりに山口成子さんと、西28丁目でのむ。
          STVのアナウンサーだった彼女とは、思えば30年以上のご縁。
          お互いに、ちっとも変わらない。
          話してみると、現在関わっている仕事で重なり合う部分がある。
          こんど、うそっぷの会の練習をのぞいてくれることになった。

          22日 乾燥のせいか、鼻がむずむず、鼻水が止まらない。
          加湿器を持ち出して対策。
          年賀状、準備。今年は印刷せず、PC用カードを購入して
          対象に応じて手づくりすることにした。
          懸案のラミネーターを購入。2本ローラーの簡単なものだが、これで充分。
          スタジオの掲示物や、利用者への案内など、これがあるとすっきり。
 
          23日 雪。読書に最適。
          原ォ「愚か者、死すべし」、あと少しで読み終わるのが残念。


12月20日(月) 仕事用のイスを購入した。
          今まで使っていたものは、1972〜3年頃、旭町の豊平スチールで買った。
          STVでアルバイトをしながら放送原稿を書かせてもらっていた頃だ。
          それから今まで、ずっと一緒。以下はイスの引越物語。
          
          1.まず、実家2階の自分の部屋(西区山の手)
          2.祖父が住んでいた離れに移る
          3.1985年結婚して、中央区西線沿線へ
          4.1988年八軒へ引越し。現在の場所 
          5.1989年、きしゃぽっぽ保育園のすぐ向かいのビルに、4畳半ひと間の
            事務所を借りる。(中央区北3条東2丁目)
          6.1991年、さっぽろシアターパークプロジェクト事務局常勤
            (中央区南1条西1丁目)
          7.1995年、北海道演劇財団設立準備会〜期成会の事務所を、
            演劇鑑賞協会北座の事務所に移す(中央区北1条西3丁目)
          8.1997年、設立なった演劇財団の事務所が、独立移転する機会に
            イスを八軒の自宅に持ち帰る
          9.2000年、八軒旧宅解体、建て替えのため、近所の仮住まいに移る
          10.同年暮れ、自宅に戻る
          
          そして、2004年暮れのきょうまで、お世話になったが
          背もたれのスプリングが壊れ、仕事を続けると腰が痛くなる。
          座面の高さ調節も、現在のようなエア式ではなく
          ネジがきかなくなって、動かない。       
          クッションを使ってどうにか、ごまかしてきたが、いよいよ、もう限界。
          昨日、たまたま立ち寄った琴似の家具屋「リビングごとう」で、
          なぜか一つだけ入荷、年末セールでとても安くなって、私を待っていた。
          ひと晩考えたが、きょう、出かけて入手した。
          これまで30年、ありがとう。私の大切な戦友。
          これから30年(の予定)。お世話になります。

          17日 来年夏に行われる「かがやけコトニ、屯田兵の里まつり」の
          第1回実行委員会。八軒物語も参加します。

          18日 久しぶりにゆっくり朝寝。懸案の衣類整理と、手紙、メールで一日が過ぎ。

          19日 志の輔落語。気合が入ってました。佳境に入ったところで
          客席で携帯の着信音。事態を話に織り込んで、満場の拍手。


12月16日(木) 14日 札幌学院大の学生2人と一緒に、ドラマシアターども:安念さん夫妻を訪ねた。
          劇場、兼喫茶店、兼住まい、兼有機野菜のやおや、のどもVを、11月いっぱいで閉めて、
          アパート住まいをしている、と聞いた。「どうしてる?」と電話したら、
          奥さん曰く、「ふた間のアパートで神田川してる」とのこと。
          これは押しかけねば、と急きょ、高砂へ向かった次第。
          20数年ぶりに、ノンビリした生活で、これがいい、ここから動きたくない、
          と、言いつつ、実はすぐ近く、アパートから見えるところに格好の土地が見つかり、
          近く、手付けを打つという。さすが、動きが速い。来年夏のオープンを目指して、GO!

          15日 うそっぷの会の練習日。講師の本間さんが、きょうは来られないので、と
          基礎練習用テープを届けてくれた。
          身体をほぐし、呼吸を整え、声を出すこと、明瞭に発音することなど、30分ほどの
          プログラムを、テープを聞きながらすすめる。いわば、基礎練習のラジオ体操。
          これ、なかなかいいですね。他のグループにも紹介してあげようかしら。
                         
          夜、八軒物語2004「島村すえひとり語り」(仮称)の本公演に向けて初稽古。
          萬年俊明さんが病床でリライトしてくれた新バージョンはとりあえず5場まで。
          少しずつ洗練され、分かりやすくなっている。なんだかけっこう、本格演劇の風格が。
          それに、昨年のゴスペル風テーマソング「THE HACHIKEN STORY」の
          レコーディングの話も、思いきり本格的に進行中。こちらも、乞うご期待!  
                         
          16日 久しぶりに、ゆっくりスタジオの掃除。午後、薬をもらいに病院へ。
          みぞれと雨、ひどい天気。でもなぜだか、気持ちが先に向かっている。          


12月13日(月) 札大の「色彩・第3回」講義。今年はこれで終わり、年明けにあと2回。
          きょうは陰陽五行の色の話など、ちょっと、ウンチクしてみた。
          きょうから土用。正月の準備は、きょうから始めることになる。
          今年をしっかりと終わらせ、新しい年をとどこおりなく迎える、
          そのめぐりを促進するのが「土用」のはたらきである。
          なにかしら心新たに、今後のことなど、考えてみる。


12月12日(日) 10日、内容の込み入った返信メール多数、年末年始の会議やパーティの出欠連絡、
          問い合わせへの返事など、来週まで持ちこすことの出来ない諸々を処理。
          丸々、半日を費やす。
         
          11日、スタジオで若い俳優のたまご達の発表会。アマチュア劇団の公演、ではなく
          養成所で学んでいる(この養成所はすでにないのだが)という姿勢に、ある種の清々しさ。
          問題は、これからどうするか、なのだ。一人は東京へ出て行くという。演劇と、どうつき合うか。

          12日、大河ドラマ「新撰組」最終回。毎回見ていたわけではないが、
          けっこう気に入っていた。
          明治がこれほど身近かだ、という実感は、北海道の特殊環境だ。
          特に琴似は、そうだ。あのドラマが終わったところから直接、土方が、永倉が
          会津の人たちが、仙台の人たちが、北海道へ、琴似へとやってくる。
          
          作家・三谷の体質なのか、男ばっかりの実に色気のないドラマだったけど
          ラスト、近藤が斬首の直前、「トシ!」ってつぶやく。あれ、よかったな。
          次は「義経」ですか。予告編によれば、これはまた、色気過剰なかんじ。
          中井喜一の頼朝が、敵役でよさそう。


12月9日(木) 札幌駅前通りで、めずらしく本屋さんに入った。
         原ォの新作「愚か者死すべし」を買った。はやく読みたいけど、しばしオアズケ。


12月8日(水) ほうじ茶の買いおきがなかったので、フライパンで番茶を焙じてみた。
         お茶屋さんの店先みたいないい香りがして、おいしかった。
         そろそろ、ほうじ茶を買いに行かなくちゃ。
         知ってる?北海道神宮の社務所脇にある「お休み処」っていうのかな、
         六花亭がシンプルな焼もちとお茶を提供している。
         そこで売っている、くきほうじ茶が、とてもいい。お茶を買いがてら、
         たまに神宮におまいりする。(失礼、本来は逆ですね)


12月7日(火) 4日、5日、終日、食卓テーブル、ノートパソコンで仕事。
         5日夜、ひと区切りついたので、スタジオのマキニウム公演を観劇。
         開演から1時間ほどして、セリフ途中の突然の暗転、
         かと思ったら、めずらしい停電。周辺一帯の家が軒並み、真っ暗である。
         北電に電話するが話し中でつながらない。復旧の見通しはつかめない。
         急遽、ろうそくを数本つけ、懐中電灯をかき集めて芝居を続行。
         10分ほどして、いきなり点灯し、無事、最後まで上演した。
         観客には、ある意味、心楽しいハプニングだったと思うが、
         役者さんは大変だっただろう。

         6日(月) 札大で、色彩について2回目、講義。
         昨年と今年、年間5回、担当させていただいている「北海道の知的財」という
         一連の講義は、鷲田小彌太さんが統括、指導してくださっている。
         きょうは「北海道につなげていく視点が全くない」と叱られた。
         自分が勉強したことをそのまま語るのではいけない、とも。
         
         先週と今週、色彩学の基礎とされている、ニュートンやスペクトルや
         三原色や網膜の細胞のことや、マンセルやオストワルトのことを
         延々と話したのだから、確かにその通りである。

         私はこの講義のおかげで、多くの言葉や概念や知識にであった。
         「着色のメカニズムは吸収である」とか、
         白と黒を混ぜ合わせるとき、白およそ20%で、人間の視覚でちょうど中間の
         グレイをつくることができる。決して50%ずつではない、とか、
         そんな言葉から、色彩には直接関係のない様々なイメージが広がり、
         本当に楽しい。その楽しさをこそ、学生に伝えなければいけない、ということか。
         
         講義を終えたところに学生がやってきて「聞きたいことがあるんですけど、
         補色って、赤をじっと見つめたあと、緑が見える、って言うんですけど
         どこを見ればいいんですか」とのことである。
         先日、私もやってみて、実際にぼんやりした残像を見て感激したところなので
         その旨、お話した。「ほんとに見えるから、やってみて」
         それが言えて、ほんと、良かったな。来週もがんばるぞ。

         講義終了後、厚生年金会館へ。長嶺ヤス子の「オルフェ」公演に駆けつける。
         いつもながら、極限まで踊りこんで至福にいたる踊りに、胸が痛くなる。
         終盤で立てない様子に異変を感じたが、足がつってひどかった由。
         それでも笑顔で打ち上げの司会進行までこなす超人ぶりは、相変わらず。
         長嶺さんの世界は、正邪、善悪を超えて闊達である。
         同時に、生きる心情は、おそらく、常に死を見ている。         
         そのエネルギーを身近で感じたい、というのが、ここ20数年、私が長嶺さんを
         見続けている理由だと思う。そのために、ささやかな支援を続けたいと思う。
          
         7日(火) 夕方、久しぶりに地下鉄大通駅で娘と待ち合わせ。小さかった頃、
         待ち合わせ場所にしていた北出口のキオスク前。ホワイトイルミネーションの
         駅前通りを歩く。いつもの街角が、なぜかなつかしい。


12月3日(金) 29日(月)夕方(16:20〜17:50)札大で「色彩」について第1回講義。

         30日(火) 朝刊に、広告代理店パブリックセンター倒産の記事。
         この会社が、まだ北澱連ビル(植物園のところ)にあったころ、
         3階の屋根裏のような部屋に友人Hさんの事務所があって、
         そこに机を借りて、仕事をしたことがあった。
         ここぞという芝居に取り組むときは、お訪ねしてチケットを買っていただいた。
         広告の世界がぐんぐん、元気になり始めた頃のことだ。
    
         札幌学院大「演劇とアートマネジメント」に、俳優・斎藤歩さん
         来ていただいて、俳優になった経緯、俳優の生活について話してもらう。
         食い入るように聞くみんなの顔が印象的。
         江別ドラマシアターども、最終日。もう一度、訪ねるつもりだったが、かなわず。
         
         1日(水) うそっぷの会、稽古と今後の活動打ち合わせ。
         2007年の10周年記念公演に向けて、来年度から週1回稽古体制を組む。
         
         2日(木) 来年度、取り組むことになった「文化環境論」準備のため
         Amazonに注文した本が届き始めた。
         河合隼雄(臨床心理)と多田道太郎(仏文学)の短い対談が示唆に富んでいる。

                      3日(金) 1日からスタジオ入りした、演劇集合体マキニウムがきょうから公演。
         事務所が楽屋になるため、ノートパソコンを抱えて居間で仕事。 


11月28日(日) 暖房が効きすぎたり、効かなかったり、調整がむずかしい。
          挙句のはて、身体が冷え切って、温まるために入浴。
          田辺聖子が、小説を書くときは、1日に何度もお風呂に入る、
          と書いていたのを思い出した。


11月27日(土) 朝、地震があった。続いて何度も小さな余震がある。いやだな、
          と思ったら、違った。一軒おいて隣の家の解体工事。
          (最初のは、正真正銘の地震)
          大きなユンボが、モルタルの家をガツンガツン壊すたびに
          地響きがして揺れる。小雪が舞うなか、見にいってみた。
          もう、建物はすっかり姿を消し、家の周りのアスファルトや
          コンクリートの塀などが引きはがされ、地面が顔を見せはじめていた。
          何十年かに一度、出現する、まっさらな空間。
          
          午前中、三角山放送局で「かりんずたいむ」。ゲストは八軒物語2004の
          原作を書いてくれた岩沢さん。
          夜、亜璃西の事務所で忠海さんお別れ会の精算会議。


11月26日(金) 少し落ち着いて仕事をした。「色彩について」である。
          どこから話し始めるか、それが決まれば、全体が見えてくる。


11月25日(木) システム手帳を整理した。過ぎた部分をファイルし、
          来年3月いっぱいのダイアリー用紙を装着する。
          前回、この作業をしたのは9月26日だったと思う。
          そこから現在まで、2ヶ月の時間を思う。
          あたらしいページに、よき記憶が載りますように。

          来週から年をまたいで5回、札幌大学で「色彩」について話をする。
          今週はその準備にかかりきり、になろうと、
          先週までとは、うって変わって家に居るのだが、
          諸々の残務整理、この先3〜4ヶ月のセッティング、支払い、買い物、
          受けた取材の原稿校正、ペンディングになっていた家の中のあれこれ、
          等など、ひとつひとつ、向き合って対処するうち、あっという間に一日が過ぎ去る。          
          
          23日、劇団極「幻日」を観る。
          集団創作のような形でつくったと聞いた。
          近未来を思わせる設定も、現在の世界への問いかけも良く分かる
          のだが、昔の芝居の懐かしいセリフが、全く違った位置に置かれるなど、
          感性の焦点が今ひとつ、定まらないことが、
          極を観続けてきた者にとっては、はがゆい感じがする。


11月21日(日) 午前中、八軒物語2004打ち合わせ。
          「島村すえひとり語り」(仮称)の本公演は、
          2005年3月5日(土)6日(日)に決定。会場は八軒会館を予定。
          試演会の結果をもとに、台本に手を入れて、更に楽しく。
          プロセスからつくりあげる、コミュニティ演劇の道筋が見えてきました。


11月20日(土) 札幌学院大・演劇とアートマネジメント講座のプロデュース企画
          交流芸術祭「リヴォルバー」開催。
          朝8:00からピアノ調律、照明吊りこみ、音響セッティング、芝居の位置決め。
          次いで、きょう初めて会った他大学3サークルの出演者と、段取り打ち合わせ。
          リハーサルなし、という無謀な話。(いかに無謀であったか、終了してから実感)
          
          今年は在籍者数が少ないこともあって、いつにもましてOB、OGの力を借りた。
          それでは足りず、OB周辺の劇団の人たちの力も借りたが
          進行の細部は私自身が決めざるをえなかった。
          緞帳を上げるきっかけは何? 照明と音と、どちらをきっかけに始める?
          司会者はどの位置に立つのか。この踊りだけは、板付きで音を入れてほしい。
          引き幕を閉めたら、中幕を揚げ、後ろにあるピアノを移動し、マイクをセットする。
          その作業をするのは何人?誰と誰? 作業のための薄あかりが必要だ。
          などなど、いつも誰かが担ってくれて、私は見ているだけだった仕事。
                   
          今年初めての企画で反省点は多々あるが、収穫も大きかった。
          学生ひとりひとりが、それぞれの位置でよく役割をこなしたこと。
          OBが、実にOBらしく、現役生のために素晴らしいサポートをしてくれたこと。
          他大学の学生と、わずかだが交流があったこと。
          少数ながら学内の教職員が見て、この活動を評価してくれたこと、などなど。
          学生の体験学習のための企画なのに、私自身が新しい体験をした。
          
          準備途中で、中止を提案した。
          来年はもう、こんなたいへんなことは止めよう、と思った。
          が、終了して、みんながいい顔をしているのを見ると、やはり・・・・・・。
          打ち上げ、カラオケ2次会に参加。23:00帰宅。


11月19日(金) 1週間、日記更新がとどこおってしまった。

         14日(日) 江別高砂のドラマシアターどもV
         13年間使われてきた現在の建物を今月いっぱいで出ることになり、この日が最後の公演。
         喫茶店と劇場の壁をぶち抜き、こんな時しか決して見ることの出来ない空間が出現。
         中央に花道をしつらえた、すばらしい仮設劇場
         4つ目の建物を期限までに決定することが出来ず、やむなくアパートを4つ借りて
         荷物を保管し、来年夏のどもWオープンをめざす、という。支援の輪を広げたい。

         15日(月) 残務整理。交流芸術祭「リヴォルバー」(20日、札幌学院大SGUホール)
         について、進行表作成等。グランドピアノを移動する必要、発覚。対応急を要す。

         16日(火) 学院大、管財課と打ち合わせ。講義時間を使って進行の細部検討。
         夜、高木孔美子朗読「ぽっぽや」。久しぶりのシアターZOOにて。
         通りから地下への階段がすっかりきれいに整備され、TPSの稽古場床も
         フローリングになって居住性アップ。車座で打ち上げ。いい空間になってきた。
 
         17日(水) 8:50教育文化会館。学院大受講生&OBがプロ演劇の舞台裏を体験。
         二兎社「新・明暗」。仕込み、撤去、受付、物販などの手伝いをさせてもらい、かわりに
         芝居を見せてもらう。これは彼等にとって得がたい体験。
         芝居も面白かった。テレビで人気の佐々木蔵之助、札幌で演出もしている
         木野花等が出演。
         漱石の「明暗」をもとにしたきめ細かなセリフと、小さめの回り舞台を使った
         スピーディな展開が面白い。休憩後、第二部は、装置の転換や照明が
         さらに効果的で、幻想的にも見えた。
         「ひとは変わることが出来るか」。永井愛の脚本はそのテーマにたいして真摯で、
         切実であると同時に、ユーモアも、パロディもあり、思考と、芝居の楽しみが混然となった、
         重量感のある舞台だった。
         丸1日、観劇を含め15時間の立ちあい、23:30終了。

         18日(木) 弁当づくりのため、ほぼ毎日、6:00前に起きる。
         このため睡眠時間が3〜5時間ということが1週間、続いている。
         きょうは家に居る時間があったので、午前といわず、午後といわず、
         30分、1時間と、細切れに眠った。おかげで少し回復。
         午前中、SGUホール(学院大)で、設営について打ち合わせ。
         いったん帰宅し、夕方再度、学院大。
         20日に受講生自身が発表する朗読劇の稽古。
         
         バー・ディバージョンから、ボジョレヌーボー解禁!のメールがきていたので
         帰宅前に立ち寄る。きょうのヌーボーはこれで最後、という一杯をゲット。

         19日(金) 家の仕事、たまったメール返信、HP更新など取り組むが、
         いまだ整理つかず。
         きのう、牧師館裏の栗の木剪定が行われた。あの栗の木です。報告をアップ。
         夜、久しぶりにイナダ組の芝居を見に出かける。             


11月13日(土) 12日 支払い様々。久しぶりにヨーカドー食品売場。
          鮮度の良いタラのアラがあったので、塩味のたら汁にした。
          下北の関根浜で、今はなき知人がつくってくれた味を
          思いながら。
          
          13日 忠海光朔さんお別れ会。
          10:00から、参加者のネームプレートづくりや、パンフレット折り作業など。
          参加者名簿で、だいじな人の名前が落ちていたりして、フォローしてもらった。
          申し込みはおよそ180名だったが、ふたを開けてみると約260名来場。
          会場は文字通り、立錐の余地なし、で、移動もママならず。

          生前の映像が、スローモーションで投影される会場に
          忠海さんの自作詩朗読が流れ、
          奥さんと娘さんが位牌、遺骨とともに、最後まで参加してくださった。
          18:00開場、21:00まで、熱く、静かに、滞りなく進行。
          ともにライブを重ねてきた三上寛さんがギターを抱えて歌い
          黒テントの女優・新井純さんからのメッセージテープが流れた。
 
          心ひそかに心配した対立や喧嘩もなく、
          道東や東京方面、京都、大阪など遠方からのお客を含め
          懐かしい顔、久しぶりの顔に数多く出会うことができた。
          終了間際まで、来客が絶えず、この場に足を運ぶことで
          喪失感に折り合いをつける、気持ちの区切りとする、そのために
          来てくださった方が多かったのではないかと思う。
          
          会を終えても、まだ、忠海さんが居ない、という実感が持てない。
          同時に、「死をずいぶん身近に感じるようになった」というカメラマンHさんの
          言葉には、全く同感。 
          私もこの1年間に、いくつもの死に出会って、そう思う。
     
          2次会、3次会におよび3時30分帰宅。




11月11日(木) 13日に行われる忠海光朔さんお別れ会の準備、段取り、あれこれ。
          ちゃんと連絡が届いているだろうか、もれている人は、いないだろうか。
          世話人会のメンバーも、みんな、まだショックから立ち直っていない、
          どこかヘンな状態で、仕事を進めている。とどこおりなく、すすめられますように。

          夜、八軒物語2004本公演にむけて、メインメンバーで打ち合わせ。
          日程は、2005年3月5日(土)6日(日)が第1候補。
          あれこれ話すうちに、次回作、その先の作品プランまで出てきて、
          この仕事は、大切に、楽しく、息長くすすめる価値ありと再認識。          


11月10日(水) 明け方、うっすらと明るんだ空に、くっきりした三日月。
          そしてその両側に、とても明るい星がふたつ。めずらしい光景を見たと思ったら
          夕刊に写真が載っていた。木星と金星なんですね。
          どこかの国の国旗デザインにでもなりそうな、素敵なワンセットでした。
          30分ほどして、けっこう明るくなってから見ると、星が一つになってました。

                       雑誌・財界さっぽろの臨時増刊号「HO」(ほ)という、
          なんとも趣味的な(いい意味で)雑誌が、9月、創刊された。
          見かけて印象に残っていたが、第2号の「雑人放談」というページで
          取材を受けた。ライターは、以前、沢則行さんの取材で
          レッドベリーに来てくれたことのある、矢島あづささん。
          八軒物語やコミュニティアートのこと、なぜ今のような仕事をするようになったか、
          など、気ままにしゃべらせていただいて、楽しかった。
          発行は、いつになるかはっきりしない、という。
          そういうところも、なんだか、のんびりしていて、おかしい。なんだか、好き。


11月9日(火) 札幌学院大学の「演劇とアートマネジメント」講座で、受講生による朗読劇発表のための
          ワークショップ。講師は松崎霜樹さん。
          今年はなぜか女性が少なく、その少ない2名が2名とも体調不良で参加できず
          男ばかりの芝居。ふだん、無口な面々で、大丈夫かな?と思いきや、
          意外や、これが面白い。大胆、かわいい、笑える。あらためて、芝居って面白い。


11月8日(月) スタジオで行われていた、コントユニットカプセル公演が昨夜で終了。
         4日間、仕事場が楽屋になっていて、PC使用がままならず、
         メールや日記更新がとどこおった。過去にも同様のケースはあるのだけれど
         かつてはこれほどPC利用度が高くなかったのか、気にならなかった。
         これは今後の検討課題。
         念のため申し添えれば、カプセルはとても気持ちのいい集団で
         礼儀正しく、センスも良い。レッドベリーの雰囲気を生かしてくれて感謝。
         女性ばかり4人の役者によるコント。さりげなく男性を演じるのがとっても上手でびっくり。
         冗長なところをシャープにして、構成に緩急をつけると、もっと魅力が光るのでは。

         5日、北海道文化賞贈呈式に、琵琶の二反田岳水さん関係者として出席。
         「文化は生活にゆとりや潤いを与えるもの」という言い方が
         あいさつや祝辞に何度も出てきた。それだけじゃないんだけどな。
         文化は、もっと力を持っているし、けっこう命に関わる営為なんだけど。

         6日夕方、札幌駅前を通りかかり、折り込みチラシの宣伝を思い出して
         東急百貨店「大薩摩展」会場へ。黒い薩摩焼の、焼酎を温める平べったい酒器。
         「風」で出てくる、最近はやりの、あれです。
                       閉店間近で、数字が欲しいから値引きしますよ、と言われて、つい(やっぱり)
         買っちゃった!小さな盃が3個ついてます。

         7日 みごとな秋晴れ。秋大根をふろふきにして、ごま味噌でいただきました。
            
         8日 たまっているメール返信、その他を処理。さあ、今週も忙しいぞ。          


11月4日(木) 午前中、道立市民活動促進センターで、20日に学院大で開催する交流芸術祭の
         チラシを印刷。ここにはいつも、本当にお世話になります。
         紙を持ち込めば、原紙代1枚300円だけで、簡易印刷機が使える。ありがたい。
         きょうは学生が一緒で、車もあるので、2,500枚の紙の重さを免れた。
         午後から、江別(大麻から野幌周辺)の高校、大学や、公共施設を
         しらみつぶしにまわって、チラシとポスターを配布。17:00までがんばって解散。
         本当にお疲れさま。
         考えてみたら、あらら、一緒に回ってくれた3人は全員OBですね。
         でもいいんです。どうやら演アト(演劇とアートマネジメント講座の略称)は
         受講する1年だけでなく、OBとして参加するなかで、
         アートと社会のかかわりの、本当の意味が見えてくる場のようです。


11月3日(水・祝) 読まなければならない本、山積み。読みたい本も山積み。
         身体と、手を、動かさなければならない仕事が多すぎて、本に手がつけられない。
         まいったな。 


11月2日(火) 岸田今日子チェーホフ朗読の夕べ。渡辺淳一文学館ホールにて。
         美しい! 魅力ある! スイと立っただけでかっこいい。
         演じているときは「女優」。でも、インタビューやおしゃべりの時は、
         「なんでもない、ただのやさしい女のひと」の顔が、ちらりと見える。
         ようするに素敵な人間なのですね。この人が居るだけで、贅沢な時間。


11月1日(月) 2か月分の日記を、一気にバックナンバーにしまいこむ。
         真っ更、ですね。
         今年はあと2ヶ月。いいこともいっぱいあるけれど
         いま、あっちも、こっちも、ひどすぎる。
         もしかしたら、洗いざらい行き着いて、
         真っ更にかえる兆しが、生まれはしないだろうか。